研究室の沿革
 本研究室は、その歴史を昭和33年(1958年)に新設された電子工学科(6講座)の第2講座(電子管設計工学)に遡ることができるが、昭和48年頃から実質的には光電子工学やレーザ応用の分野の研究と教育を行うようになった。昭和64年に光波電子工学講座に改名され、平成8年の大学院重点化により電子工学専攻集積電子システム講座集積光電子工学領域に改められた。さらに平成17年4月からは独立行政法人化に伴う改組により、電気電子情報工学専攻 量子電子デバイス工学部門 エレクトロニクスデバイス講座に属することになり、研究室名称も集積光電子デバイス領域に改名された。昭和48年から59年までは小山次郎教授、平成13年3月までは西原浩教授が担当され、平成14年8月より栖原敏明が担当している。
 本研究室は昭和48年頃から一貫して光電子工学の分野で研究を行ってきたが、その研究内容は時代とともに変遷しながら発展してきている。
 1970年代にはホログラフィとその応用、炭酸ガスレーザ、各種光導波路と応用、光ファイバ応用などの研究を行い、ホログラフィック結合素子「ホロカップラ」やホログラム集積化のアプローチ「導波路ホログラム」などの斬新な研究が注目を集め、その後の研究活動の基盤となった。
 1980年代にはこれらに加えて、マイクロフレネルレンズなどのマイクロオプティクス素子の研究を行うとともに、光集積回路の研究に本格的に取り組んだ。マイクロフレネルレンズの研究はその後に研究が活発化したバイナリオプティクスの分野で先導的役割を果たした。光集積回路関係では、導波路内微小グレーティングを用いた波長多重光通信用分波器、導波型電気光学効果光変調器・光スイッチ、光集積高周波スペクトルアナライザなどの導波型音響光学効果光信号処理デバイスなど多くの光集積回路を提案・実証した。なかでも全く新たな発想による「光集積ディスクピックアップ」は将来デバイスのモデルとして世界的に注目され、学会と産業界に大きなインパクトを与えた。1987年には大学院最先端設備費により光・電子集積回路作製装置が設置され、これにより光集積回路研究が高度化し加速された。
 1990年代には、研究範囲を更に拡大した。新たに非線形光学デバイスの分野にも研究を拡大し、理論解析から無機・有機の非線形光学材料、デバイス実現にわたって研究を展開し、導波型擬似位相整合波長変換デバイスや同超高速全光信号処理デバイスに関して先導的な貢献を行った。材料面では、それまで主に誘電体材料を取り扱ってきたが、Ⅲ―Ⅴ族半導体量子井戸構造を含めるようになり、最も重要な要素のひとつである半導体レーザ(DFB、DBRレーザ)を含めた新規な光集積デバイスを実現することが出来るようになった。光集積干渉計型変位センサは世界で始めてのワンチップ全光集積センサデバイスとして注目された。この年代には外国大学との国際共同研究や国内有力企業との共同研究でも実績を拡大した。2000年には大学院重点特別経費により光・電子集積回路作製設備に半導体モノリシック光集積回路作製のための電子ビーム描画装置が追加された。
 2000年代の研究は上記の発展を基盤として、導波型非線形光学デバイスと集積半導体レーザに重点を置いて研究を続けるとともに、阪大フロンティア研究機構(FRC)プロジェクトのテーマ「量子フォトニックデバイスの研究」により新たな可能性探索に取り組んでいるが、詳細は本ホームページで紹介されているのでここでは割愛する。

 昭和48年度末から現在(平成17年)にいたる本研究室の出身者(卒業者・修了者)は約250名を数えているが、多くの出身者は研究室での専門的経験を生かして、大学、公的研究機関、企業などで研究者・技術者として活躍している。
本研究室在籍教官 (1973年(昭和48年)以後)

西原浩 1965助手、1968講師、1973助教授、1984教授、2001定年退官
小山次郎 1973教授、1984第1講座教授に配置換、1987退官
春名正光 1973助手、1986講師、1988助教授、1994医学部保健学科教授に配置換
栖原敏明 1978助手、1990講師、1991助教授、2002教授 
裏升吾 1987助手、2000京都工芸繊維大学工芸学部電子情報工学科助教授に転出
藤村昌寿 1994助手、2006助教授、2013逝去
上向井正裕 2002特任助手、2006助手